美容師伊藤知子[昭和30年代モノクロ写真]

1960年代、東京の美容師達の青春

昭和39年[渋谷区幡ヶ谷]ズーロ美容室

ついに本物の美容師としての面接!

 昭和39年2月、私は1年間お世話になった中央区月島2丁目の蒼ゆり美容室を辞め、

一旦父と会津若松に帰省しました。

そして翌朝には会津若松の読売新聞の求人欄で東京の住み込み美容師募集をピックアップし、朝一からまた東京に向かい、昼には東京に到着し、

東京駅で東京版の新聞を買い求めました。

東京の新聞には会津若松版の新聞より東京の求人は豊富に掲載されているからでした。

 

私はその紙面で渋谷区幡ヶ谷のズーロ美容室(仮称)というところが住み込みの美容師を募集している事を知りました。

早速公衆電話から即日面接をとりつけた私が京王幡ヶ谷駅に降り立った時には15時程になっていたと記憶しています。 

 

 さあ、美容師登録申請も済ませ、美容師免許も取得した最初の面接です。

面接危機一髪[昭和39年/渋谷区幡ヶ谷]ズーロ美容室

目的の幡ヶ谷ズーロ美容室は明るい角地に立地した築浅のモダンな店舗付き住宅という感じでした。これまでの堀切菖蒲園のフラッシュ美容院、月島2丁目の蒼ゆり美容室の様な築古年の古ぼけた建物とは全く違い、”モダンな美容室!”という雰囲気です。

私は面接に挑む為、店内に入りました。

昭和レトロポートレート「船内」

昭和39年[幡ヶ谷「ズーロ美容室」の瞬子先生(仮名)]※中央で缶コーヒーを持っている女性

明るい店内には20代半ばほどの女性美容師2名と、胸からの赤いエプロンを下げた先生らしき40手前程の上品な女性が居ました。

その赤いエプロンの上品な女性はズーロの瞬子先生(仮名)でした。

 

「うちは技術を見せてもらうから」

 

私は美容室の面接はこれで3回目でした。

そして、この幡ヶ谷ではどんな面接になるのかと思っていたら、

何と面談などは無く、ズーロの瞬子先生は技術で判断するというのです!

 

先生曰く「うちの面接は技術を見せてもらうから」とサラっと一言で終わり・・・

そして「あと10分もしたらセットのお客様が来るから、希望を聞いて、担当してちょうだい」と言ったかと思うと、

そのまま先生は壁一つ隔てた休憩室に消えていったのです。

私は焦りました。

1964年

え?まじで?

何故なら、堀切菖蒲園でのインターン1年間は、お客様は週に3人来ればいい程だったから、技術など殆んど身についているとは言えないし、

その後の月島2丁目での1年間はシャンプー&フケ削り専用要因でしたので、

美容師免許はあるとはいえ、面接に耐えられる様な技術的経験など積んでいない、

というのが現実だったからです。

 ところがすぐさまそのお客様は来店されました。

30代のどこかの奥様の様な感じでした。

これはもう絶体絶命のピンチです。でもやるしかありません。

賽は投げられたのです。

私はその時、咄嗟に月島のトップ「雨子さん」の様にお客様に対応しました。

しかしそれは自然と出ました。月島で1年間雨子さんの技術を盗もうといつも近くで助手していたからかも知れません。

私は雨子さんのパフォーマンスの様に「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ~。」とさりげない笑顔と雨子さんの様な柔らかい声のトーン、表情、姿勢でお客様にセット椅子に掛けてもらい、

雨子さんの様な聞き方でおお客様に希望されるセットを打診しました。

するとお客様は、

セットは私に任せるので自分に似合うようにして欲しいとの事でした。

ここで気をつけなければいけない事は、

幾ら私に任せる、似合う様にして欲しいと言われたからと言って、

仕上がりがお客様自身の思い描いている自分像と余りに違っていてはいけない。

やはり、シルエットや仕上がりの印象を決めかねないポイントポイントでは、

事前にお客様に打診したほうがいい、そう感じました。

何故なら、月島トップの雨子さんは、月島では唯一お客様からチップを貰えてる美容師でしたが、その雨子さんは技術が洗練されていただけではなく、お客様にポイントポイントで好みや希望を打診していたからです。

 私は要所要所で雨子さんがしていた様に、お客様の好みを打診し、

網カラーでウェーブをつけていきました。

 

しかしながら先生は最初に奥に消えたまま出て来ません。

店内に居るのは私とそのお客様、

後はお店の後ろの方で例の二人の先輩女性美容師が寄り添って立ち、

こちらを終始無言で見ているだけでした。

 

そうこうしているうちに、別のお客様が来店され、

お店の隅で立って見ていた二人の先輩の内の一人が来店されたお客様を担当し始めました。

 

網カラーが終わり、ネットを被せ終えた私は、お客様をドライヤー椅子にご案内し、

ドライヤーを始動させ、お客様に熱くないか等をお聞きした後、

先程来店されたお客様のセットを担当し始めた先輩の手法を観察する機会に恵まれました。

「よし、これを真似よう・・・」

私はドライヤーが終了したお客様に、希望や好みをお尋ねしながら、

隣の先輩美容師の手法を真似ていきました。

お客様の思い描いていた自分像に近付きつつあったのかも知れません。

お客様の表情にどんどん自身が感じられる様になって来ました。

そして、お客様が満足そうな表情で私にこう尋ねてこられました。

「あなたは美容師になって何年?」

お客様はもともとこのズーロのお客様で、私を見たのは今回初めてという事で、

私の事が気になった様です。

お客様の表情や声のトーンからして、私のつたない技術に疑問を感じたから質問した、

という雰囲気ではなさそうでした。

しかしながら、さすがに「お客様が初めてです。しかも今、面接中です。お客様のセットが上手く行えたら、私合格なんです。つい先日まで月島でシャンプーとフケ削りサービス専用要員でして・・・」とは言えず、咄嗟にこう聞き返してしまいました。

「何年ぐらいに見えますかぁ~」

するとお客様は、笑顔で「そうね、もう3年ぐらいかな?」と答えてくれました。

私はお客様に「会津若松で美容学校1年、堀切菖蒲園でところてんインターン1年、月島2丁目でシャンプーふけ取り1年の計3年です」とはさすがに言えず、

「あ、そうなんです、よくお分かりになられますね・・・」と言ってしまいました。

 

こうしてお客様は満足してお帰りになられ、私の採用試験は無事通過しました。

ちょうどその時、ラジオから梓みちよのこんにちわ赤ちゃんが聴こえていました。

結局瞬子先生は一度も私の仕事を見ずに採用試験は終わりましたが、

先生は二人の先輩美容師に私の仕事ぶりを査定させていたのだと思います。

だから二人の先輩は店の隅で黙って立ってこちらを見ていたのでした。

私は無事採用試験に合格し、その日から幡ヶ谷のズーロ美容室への住み込みとなりました。給料は月島より1,000円高い16,000円(※月島はシャンプーだけで15,000円出してくれていたので、それはそれでよく出してくれていたと思います)。そして、私の査定を任されていた2人の先輩美容師も、住み込みでした。

 この様に瞬子先生は夕方は住み込み美容師、そして大使館勤務のご主人の夕飯の用意があり、いつもその時間は店には出られないのでした。

ちょうど私がお客様を担当した時間帯が、その時間帯だったのです。

 

そして私は、この渋谷区幡ヶ谷のズーロ美容室の先輩2人ととても仲良くなり、

そこから運命が大きく動いていくのでした。