美容師伊藤知子[昭和30年代モノクロ写真]

1960年代、東京の美容師達の青春

幡ヶ谷の先輩美容師[靖さん陽さん]との出会い

女性らしい優しいズーロ美容室の瞬子先生

幡ヶ谷のズーロの瞬子先生は、赤い胸掛けタイプのエプロンが似合う、

スラっとしたとても上品な女性らしい先生でした。

1964年(昭和39年)夏「渋谷区幡ヶ谷」

1964年(昭和39年)夏、幡ヶ谷ズーロ美容室の旅行、右から2番目が当時の瞬子先生

幡ヶ谷のズーロの瞬子先生は、堀切菖蒲園の先生の様な欲求不満ストレスの癇癪がある訳でも無く、月島2丁目の奥さんの様な、腰掛け前垂れの似合うチャキチャキ江戸っ子な八百屋のおばさん、という雰囲気でも無いごく普通の奥様という感じの人でした。

 

先生が作るメニューは、朝はパンとサラダとコーヒーと季節の果物。

夜は焼き魚などの和食。

そんな瞬子先生のお昼の得意料理は、野菜炒めと野菜サラダでした。

大体お昼はいつもこれでした。

なので、月島の奥さんの様になんでも作れる、という感じではありませんでした。

とは言っても、瞬子先生の野菜炒めと野菜サラダは毎回入っている野菜が違い、

野菜炒めやサラダも何種類ものバリエーションがあり、見た目もよく、飽きも来ず、

味もとても美味しいものばかりでした。そして、こだわりもありました。

 

或る時、先生がトマトを使用したスパゲッティを作っていました。

私が、ケチャップは使わないんですか、と問うたところ、

先生は、「ケチャップなんか使わないわよ・・・だって主人がこれでないと食べないのよ、」と言っていました。

前の記事でも少し触れましたが、先生のご主人は大使館勤めの人でした。

私も何度か大使館勤めのそのご主人さんを見かけた事はあるんですが、

住み込み美容師達と共に朝食を摂る、夕食を摂るという事は一度もありませんでした。

これは月島2丁目の蒼ゆり美容室のご主人さんも全く同じでした。

蒼ゆりのご主人さんは浅草で白猫というスナックを経営していたらしいのですが、

やはり住み込み美容師達との接触は殆んどありませんでした。

今思えば葛飾堀切菖蒲園のフラッシュ美容院だけがその真逆でしたね。

「手が空いている時はこっちに来てコーヒー飲みなさい」

 そして、瞬子先生はとてもコーヒーが好きな女性でした。

気が付けば隣の休憩室でコーヒーを飲んでおり、

私達にも常に「手が空いている時はいつでもこっちに来てコーヒーを飲んでいればいいのよ」という、全然ガツガツしていない先生でした。

それでもお客様も1日10人前後、月にして30人は来られていました。

もちろん同じく個人営業店なのに1日70人、月にして1,750人のお客様をこなす月島の蒼ゆりとは比較になりませんが、

堀切菖蒲園のフラッシュ美容院の、週に3人、月にして12人程度しかお客様が来ない状況とは違いましたので、幡ヶ谷の瞬子先生には余裕があり、おっとりしていましたね。

 

そして私は、ここ幡ヶ谷ズーロの2人の先輩美容師靖さん」「陽さん」と親友になれました。まあ、この二人と親友になれたというより元々靖さんと陽さんの2人が親友であり、その二人に新たに私が追加された、という感じです。

1964年(昭和39年)、静岡県富士市厚原周辺の風景

1964年(昭和39年)静岡県富士市厚原/東京の美容師の休日(右から2番目陽さん3番目靖さん)

長野県出身の靖さん、福島県出身の陽さん

 2人の先輩美容師、靖さんと陽さんは私より2歳年上で、当時2人は22歳でした。

靖さんは長野県出身、陽さんは私と同じく福島県出身でした。

靖さんの喋り方は、美川憲一を女性にした様な独特のゆっくりした、

絡みつく様な喋り方に特徴のある、割となんでも積極的なタイプでした。

対する陽さんは、ごく普通の、どちらかというと控え目な感じが特徴の人でした。

でも、既に二人には彼氏が居ました。

靖さんの彼氏は無職の小物のチンピラだと、靖さん本人が話してくれていました。

陽さんの彼氏はごく普通の勤め人で、三郎さん(仮名)という人との事。

(ただ、靖さんはチンピラとは別れ2年後にクリーニング屋さんと結婚します。靖さんはチンピラを捨てる訳です。単にチンピラが靖さんに惚れていただけなのです。とは言え、実際に付き合ってはいたらしいんですけどね。そして陽さんも2年後三郎さんと結婚します)

そう言えば、月島に置いてきたかっちゃんも故郷の田島町に彼氏が居ました。

その後どうなったんだろう・・・

私はこの時も尚新潟の尾曽川さんとの文通は続いてましたが、

新潟と東京なのでなかなか会う事はありませんでしたね。

 

↓1964年(昭和39年)幡ヶ谷ズーロ美容室の慰安旅行でマザー牧場へ行く際のフェリー甲板

1960年代「美容師の休日」

【東京の美容師の休日】1964年(昭和39年)マザー牧場へ行く際の船内で靖さん陽さんと。

私は仲良くなった二人の先輩美容師「靖さん」「陽さん」と色んなところへ行っていた様です。「様です」というのは、今残ってる当時のモノクロ写真を見ても、

実はあまり記憶にないからなのです。

因みに葛飾堀切菖蒲園のフラッシュ美容院でのインターン時代の1年間は、

休日の火曜日と言えば決まってインターン仲間のかっちゃんと二人で上野公園をブラブラするだけでした。

何故なら、私達にはお金が無かったし、先輩もおらず、

お金も無く、地理も知らない私とかっちゃんだけでは

どこへも行けなかったというのがあります。

そして、次の勤務先である中央区月島2丁目の蒼ゆり美容室の1年間では私とかっちゃんにはお金も出来、インターン時代の上野公園ブラブラから銀ブラへの格上げされ、

そして先輩美容師もいたので一緒に皇居外苑に遊びに行ったり、

お店で伊豆の銀水荘ホテルへの旅行もあり、

少しは休日の過ごし方がリッチにはなっていました。

しかし、東京での美容師生活3年目となるこの幡ヶ谷のズーロ美容室の技術者となって、そこで仲良くなれた二人の先輩技術者との出会いで、

これまでの2年間より様々なところへ遊びに行く様になったと思います。

もちろんズーロ美容室自体にも社員旅行がありましたが、

当時靖さん陽さんという先輩が、東京の美容師達で構成されている「火曜会」のメンバーであり、私もその火曜会のメンバーに入ったというのもあります。

火曜会は東京都内の美容室で働く美容師達の親睦会の様なもので、

美容師だけでなく、材料屋さんもメンバーとして入っていました。